本を読む本

本を読む本 (講談社学術文庫)

本を読む本 (講談社学術文庫)

本を完全に理解しないで批評するような愚行はやめろと書いてある。しかし「本を理解すること」のハードルが高く、ちゃんと読めたのか自信がなくなってくるから、本の内容について感想を書きにくい……。

意欲的とか積極的とかの言葉が多く出てくる本で、「積極的読書」により、良い本を使って自分を成長させることが読書の目的だと説いているのだと理解した。

積極的な読書

ここでいう積極的とは、たくさん本を読もう!みたいなことではない。本を読み、問い続けるという、本とのコミュニケーションをはかる態度のことを言う。著者が言いたかったことを探し出したり、本における疑問点の答えをその本から見つけたり、批評したりすることがコミュニケーションになる。このようにじっくり本とコミュニケーションを取りながら読むことを「分析読書」といって、分析読書ができれば、本から得られるものが最大限になるという。

分析読書は技術が必要で、残念ながら良い本を読んでも必ず良いものが得られるのではなく、良いものを得るための相応の技術が必要になる。どんなにタメになる話をしている人がいても、その話の内容が理解できなければ、聞いていても得られる恩恵は少ない。理解したいのなら、そのありがたい話が理解できるようになるまで自分を引き上げる必要性が出てくる。自分を引き上げることは本とのコミュニケーションにおいても変わらず、どんなに優れた本であっても、読み手の技術が足りなければコミュニケーションは成立しない。なので、本を理解したければ理解するための努力が必要になることになる。「理解したい」の条件がついてくるのがポイントで、ここらへんが積極的読書の「積極的」を表している。

もちろん、分かりやすくて更に得られるものも大きいという本はある。書き手側が読者側に歩み寄る技術を持っているからだ。しかし、読者側に歩み寄る技術が足りない本でも、得られるものが無いと判断するのは早計だ。こう見るとコミュニケーションという表現は妥当っぽい。

良い本の見つけ方

いちいち努力して本を読むのは大変。慣れている読者ならば、分析読書を自然にやってのけるらしいが、大変。大変だ。そもそも読書時間には限りがあるので、全部の本に対してそんな時間のかかる読み方をしていられない。本をしっかり読むのならできれば良い本であってほしい。

著者に言わせると、この世の本の99%は分析読書をする価値が無いようだ。たくさんある本の中から効率良く、良い本を見つけるためには、良い本かそれ以外かの判断を素早くできるようになりたい。その判断のフェーズが「点検読書」と呼ばれる。

点検読書では系統立てて拾い読みをする。表題、目次、序文、まとめの章を読んだり、本の要となる章を読むことで良い本か判断する。本全体として、何について書かれているのかを把握できれば良い。

軽く表面を読むことは、良い本であるかを判断するだけでなく、分析読みの手助けにもなる。文章を読んでいく際、全体として何について書かれているのかある程度分かっているのと、それも分からず内容を理解していこうとするのでは、前者の方が効率の面で優れているように思う。

内容を理解しているか

内容を理解しているかのチェックとして、なるほどと思うことが書かれていた。書かれていることをそのまま知識として取り入れるのではなく、咀嚼して、自分の言葉で言い換えることが理解しているかのチェックになる。自分の言葉で言い換えることができないのなら、本から読者へ言葉だけが伝わっただけであって、意味が伝わっていない。言い換えた後の内容が合っているのかは誰が判断するんだと思ったけど、何も言い換えられないよりマシなのかな。

本を読んで自分を高めることへの執着心が強すぎて、著者についていけないこともあったけど、本に対するスタンスとしては納得いくものばかりだった。