伯林蝋人形館 - 皆川博子

人はだれでも。生きているあいだ、ある定まった量の苦しみに耐えなくちゃならないんだよ。抑制、断念、犠牲を受け入れることのできる者は、苦しみを毎日少しずつパンに塗って、平凡な市民的生活を送る。それができない人間には、苦しみは一気にやってくる。非市民的で、ロマンティックで、危険で悲劇的な生を避けられない。でも、どっちを選ぶのも、生まれついての性の問題だからね。

黄金の20年代におけるドイツで、歌手「ツィツェリエ」、蝋人形師「マティアス・マイ」、義勇軍でお互いを知り合う「アルテゥール・フォン・フェルナウ, フーゴー・レント, ハインリヒ・シュルツ」、シナリオライターを志す「ナターリャ・コルサコヴァ」の6人を主眼に置いた、6つの話で伯林蝋人形館は構成される。それぞれの話は、事実を元にした物語と作者略歴がセットになっており、本の中に本があるという「死の泉」の物語構成を6つにして合わせた複雑な構成となっている。

ドイツの忙しい移り変わりに憔悴してゆく登場人物たちは、蝋人形師の部屋で一時の安らぎを得る。安らぎの先に待つのは死であり、蝋人形師は作中で「すべての物語を書き終えた者には、自殺の特権を与えよう」と、蝋人形館にやってくる者に告げる。そして、アルトゥールは安らぎや陶酔という沼に溺れ、一人で死んでしまった。6つの物語は、アルトゥールの死に、深く悲しみを受けたツィツェリエが書いた物語である。自殺の特権を与えようという言葉は、蝋人形師が実際に言ったものではないので、ツェツィリエが考えた言葉になる。そして、「物語を書き終える」という行為が死ぬことを意味するのでなければ、物語を書き終えたのはツィツェリエだ。6つ目の物語の作者略歴で、ツィツェリエは死ねないと書いてある。物語を書くことで死んだ気になっていたのだろうか。

自分の大切に思う者の死が、自分の死に等しいという考えは分かり易い。でも、そんな劇的な死が自分にやってくることがあるのだろうか。物語だから劇的であるのは当たり前だけど、人の死を受け止めて、自分の死に様を考える時が来るかもしれない。